何で松本山雅?
私、長野県に永住すると言う他動的受動的人生を選び掛けていた時期があって。
これだけエクスキューズ付いてる時点でアレですが、本意では無かったのです。
長野県と言ってもリゾートエリアではなく田舎の寒村の閉鎖的な衆人環視社会に属していて。東京に月2回サッカー見に行きます!はこの社会では認められないだろうなと考えてました。
で、東京に毎度毎度行くのは無理としても長野県で常設のサッカー観戦出来る場所は無いものか?と
その後、路線バスと2km弱の徒歩で時々スタジアムに行ったり、たまたま近所である伊那市の競技場で天皇杯があって相方と車で見に行ったり…この時はフッサリした芝生でボールの勢いが弱まり、コンクリートの階段状のメイン側は飯田線の席間の如くゆったり目に座れる程度。バック側のトラック上のごく一部がバモリ専用エリアになってて、こんな所でもそれらしく熱く応援している事に軽く驚嘆したり。…その後何年かして同じ場所で天皇杯が行われた時はピッチの周囲を二重三重の人の輪が取り巻いて本当に驚いた…と言うのは完全な余談ですがw
映画クラシコが松本郊外のシネコンで上映される事を知り、たまたまその時長野県に滞在していて相方に頼み込んで連れて行って貰ったり…その後何度も東京で上映もされDVDも発売されましたが、当時はこれを逃したら見れないと思いましたから。
松本山雅を応援しようという動機はもう一つあって。長野県のリゾートエリアは他府県からの移住者も多くて東京とそんなに感覚の違いが無かったんですが、農村部の江戸時代からそんなに変わってないと思われるアレコレは拒否したい物事が山のように谷のように存在してました。掘っても掘ってもネガティヴしか出て来なかった…ので、長野県に纏わる良い事探し、肯定や共鳴できる事を増やしたいと。リゾートと農村しか知らなかった私にはどちらにも属さない松本市と言う小都市も新鮮でした。
北信越から上に上がる過程で何度か躓いた絶望感は、乗り越えた瞬間の醍醐味に変わりました。J2にも上がりその上にもちょろっと顔を出し…これから先のデザインは凄く難しい気もしていますがハテサテ。ACLに行くような事があったら海外遠征する気は満々なのですがw